ヴェ ネツィア随一の聖堂・サン・マルコ寺院

ヴェネツィアを訪れたなら、必ずと言ってその前に立つ、と言っても大袈裟ではないのがサン・マルコ寺院でしょう。ファサードには色大理石と彫刻、半円蓋の中のモザイク画。建築物と芸術が寄り添う大聖堂は、いったいどういう由来があって建てられたのでしょう。そのモザイク画に描かれているとおり聖マルコにまつわる史実がそこにはありました。

サン・マルコ寺院はどういう経緯で建てられたのか

東ローマ帝国の管轄下にあった時代、ヴェネツィアはもともと東方由来のテオドーロを守護聖人として崇めていましたが、9世紀に入り独立国家となってもっとランクアップできるような守護聖人を必要としたのでした。そうして浮上したのが聖マルコだったのです。聖人の中では、イエスの弟子たちのリーダーとして説教していたピエトロは別格でしたが、イエスの言葉をまとめた福音書家であるマルコ、ルカ、ヨハネ、マタイは次に着目に値する立場。ヴェネツィアはその中の1人、聖マルコの遺体を所有して守護聖人とすることで力を示せるように仕立てる企てを仕掛けます。

海の上に人工的につくられた小さな国ヴェネツィア共和国は、当時から東方貿易が盛んでしたが西暦828年、エジプトに出向いていたヴェネツィア商人2人がアレキサンドリアから聖マルコの遺体を運んできたのです。聖マルコが生前布教につとめていたアレキサンドリアはローマやコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)と並ぶキリスト教の中心地でしたが、616年にはペルシアに、640年にアラブ人に制覇され、聖マルコの墓地自体荒らされていたと伝えられており、こうした企ても通りやすかったのでしょう。運ぶ際はアラブ人が不浄として嫌う豚肉と、キャベツをかぶせて聖遺骸を隠すことで、中身をよく確認せずに通関させることを可能にしました。

実行した商人の裏にはヴェネツィア政府の指示があったとされています。国をあげて聖マルコの遺骸を迎え入れる必要があったのです。こうして聖マルコの遺体を安置するための聖堂として、サン・マルコ寺院が建造されたのでした。

聖マルコにまつわるモザイク画

豪華なファサードの正面向かって一番左には、カーブのついた半円蓋に「行列で大聖堂内に運ばれる聖マルコの棺」があります。このモザイク画の中で、着飾った人々が集まっているのはまさにこの聖堂の前。そして掲げられているのが聖マルコの棺。この建造物、サン・マルコ大聖堂のテーマとも言えるモザイク画でしょう。このモザイク画は13世紀に作られたオリジナルのものです。

現在アッカデミア美術館に所蔵されている、1496年ジェンティーレ・ベッリー二によって描かれた「サン・マルコ広場での宗教行列」の中にもこのモザイクの図柄がはっきり残っています。そして同じ段の他の三つの半円蓋には、「アレッサンドリアから運ばれる聖マルコの遺体」「聖マルコ遺体のヴェネツィア到着」「ヴェネツィア総督及び市民の聖マルコ遺体歓迎」とストーリーを成しています。この三作は17~18世紀に作り変えられたものです。

1496年のベッリー二の絵も「行列で…」の作風とは明らかに異なっており、当時どんなモザイク画だったのかは現在の絵をもとに想像で私たちが心に描くしか方法がないのですが、全ての作を通して展開される聖マルコの遺骸を迎え入れる物語と細やかなモザイクの手法を用いた絵は時代を超えて私たちを魅了します。

モザイクの技法、その細やかなしごと

サン・マルコ寺院のファサードと堂内を彩るモザイク画。そのモザイクは、ガラスの片、テッセラを使って描かれていきます。テッセラは色のついたガラスの薄い板を、2,3ミリ四方から1センチ四方以上のものまで特殊な「のみ」を使って四角に割ったものを用意し、下地になる荒い漆喰、さらにもう一層の漆喰、そして仕上げに薄くて間の細い漆喰を塗って作り上げたモザイクのための「キャンバス」が、まだ生乾きのやわらかいうちに埋め込んで描いていくのです。

様々な色のテッセラを用意する中でも金色のテッセラは、透明のガラスいたに金箔を載せ、その上に再度透明のガラスを薄くかけるという技法を使っています。モザイクの技法、テッセラの作り方に興味がある場合はサン・マルコ聖堂内のサン・マルコ博物館に詳しく展示されていて、修復工事の際に発見された11,12世紀のものとされるモザイクや、本堂の壁の一部のモザイクなどもしっかり目の前で鑑賞できるのでオススメです。

寺院?大聖堂?

サン・マルコ寺院はかつて、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった聖使徒大聖堂を模して建造されました。1090年代に建設された聖堂は十字形平面で中央に円蓋を持つクロスドーム型のビザンティン建築だったのです。またもともとコンスタンティノポリスの競馬場にあった「4頭の馬の銅像」(現在はレプリカを置いている)が1204年第四回十字軍時に略奪されてヴェネツィアに運ばれています。

また、サン・マルコ寺院は公式にはヴェネツィア共和国時代、共和国総督の「礼拝堂」であり、カトリック教会の司教座聖堂(ドゥオーモ)とは異なったのです。それはヴェネツィア共和国がカトリック教会から政治的に独立していた所以であり象徴でもありました。1807年にナポレオンがヴェネツィアを占領し、大司教座がサン・マルコ寺院に移されて大聖堂となりましたが、それでも現在も「サン・マルコ寺院」「サン・マルコ聖堂」の呼称が一般的です。

ただ、ヴェネツィア随一の聖堂であるには違いありません。いかがでしたでしょうか。独立を果たしたヴェネツィアは、聖マルコの遺骸を、企てまでして招きいれて守護聖人としました。以前の守護聖人テオドーロはサン・マルコ広場に聖マルコ(有翼のライオン)と対を成す石柱として残されていますが、当時のこの地において、掲げる守護聖人がどれほどイエスに近い立場だったかが国の強さにも関わっていたことを感じます。

象徴として今も聖マルコを包み込み続けるサン・マルコ寺院。その壮大な建造物と、細やかなモザイク画が表す聖マルコを迎え入れたストーリーを実際に感じてみませんか。

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